新潮社 日本古典集成「萬葉集」による訳文、コメントなど

　世間を 何に喩へむ 朝開き　
　　漕ぎ去にし船の 跡なきごとし（沙弥満誓）

　世のなかを何に喩えたらいいのだろうか。
　それは、朝早く港を漕ぎ出て行った船の航跡が、
　何も残っていないようなものだ。讃酒歌を承けて歌ったものか。

　世の中はかくも空しいものであることを示そうとて、
　なるほど、この照る月は満ちたり欠けたりするのだな。

　この世ははかないものだとわかっていながら、
　 秋風が寒々と身に沁みるので亡き人が恋しくてたまらない。

　世の中とはいつもこのようにはかないものなのだとよく承知して
　いたのだけれど、せつない気持ちは抑えようにも抑えられない。

　世の中とは空しいものだと思い知るにつけ、
　さらに一層悲しみがこみ上げてきました。

　世の中が無常なものだということを私は今こそはっきり思い知った。
　あの栄えた奈良の都が日ごとにさびれていくのをまのあたりにして。

　女の手を巻という巻向山はいつも変わらず聳えているが、亡く
　なった人のもとを訪れて、その手を枕にすることはもうできない。

　巻向の山辺響（とよ）みて行く水の
　　水沫（みなわ）のごとし世の人我れは

　巻向の山辺を鳴り響かせて流れ行く川、その川面に浮かぶ泡の
　ようなものだ。このうつし世に生を享けたわれわれは。

　初瀬の山に照っている月、あの月でさえ満ちたり欠けたりしている。
　同じように死を逃れえぬ人の定めないことよ。初瀬の山；葬地

　人の世も常なきものですから、私の庭の桜の花さえも散って
　しまった今日このごろです。

　秋になればいつも春日の山の美しいもみじを見て遊んだ。
　その奈良の都が荒れてゆくのは何とも惜しくてならない。

　冬が過ぎて春が来ると、年も月も新しくなるけれども、
　人はただ年ごとに古びてゆくばかりだ。

　もちろん物はみんな新しい方がよいにきまっている。
　とはいうものの、人には古びれば古びたなりのよさがあるように
　思われる。

　天地の 遠き初めよ 世間は 常なきものと 語り継ぎ 流らへ来れ 天の原 振り放け見れば 照る月も 満ち欠けしけり あしひきの 山の木末（こぬれ）も 春されば 花咲きにほひ 秋づけば 露霜負ひて 風交り もみち散りけり うつせみも かくのみならし 紅の 色もうつろひ ぬばたまの 黒髪変り 朝の笑み 夕変らひ 吹く風の 見えぬがごとく 行く水の 止まらぬごとく 常もなく うつろふ見れば にはたづみ 流るる涙 留めかねつも

　物言わない木でさえ、春は花が咲き、秋になるともみじして
　葉を散るのは物なべて無常であるからなのだ。
　 （物なべて、常でありようがないということなのだ）

　人の身の常とてないのを見ると、こんな無常な世に心をかかわら
　せずにいたいが、物思いに耽る日ばかりが続く。
　 （嘆く日ばかりが続く）悩む日が多いことだ

　人の世のはかないということはご存知でしょうに、心尽き果てる
　までお嘆きなさるな。堂々たる男子ではありませんか。

　水の泡のようなはかない身だとは十分に承知しているけれども、
　それでもやはり願ってしまう。千年の命のあらむことを。